【読書】『誤解だらけの人工知能 ディープラーニングの限界と可能性』を読む 

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 日頃、AIとか人工知能(AIと同じ意味なんですけどね‥)、ディープラーニングといった用語を聞く機会けっこう増えてきましたよね。代表的な例を言うと、「AIで業務を効率化して‥」といったものや、「人工知能が人間の仕事を奪う‥」や「AIが人の知能を超えてやがて人間に襲いかかる??」といった人間の労力が低減されることやSF映画の世界みたいなことまで色々言われています。

 『誤解だらけの人工知能 ディープラーニングの限界と可能性』(光文社新書、田中潤・松本健太郎著)は出版時(2018年)の情報に基づいて書かているもので、記事執筆時(2020年)から2年経過していますが、人工知能とは何かや、ディープラーニングでできること、まだ苦手としていることの基本を知ることができます。

人工知能の定義はバラバラ?

 そもそも人工知能(AI)といった言葉自体は何十年も前から存在していました。じつは人工知能ブームは過去に2回ほどあり、 今のブームは 2000年代から続いている第3次ブームだそう。

  • 第1次ブーム 1950年代後半から1960年代
  • 第2次ブーム 1980年代
  • 第3次ブーム 2000年代前半から現在(2018年出版時・2020年ブログ執筆時←今ココ

 第1次・第2次ブームは現実社会に応用するには複雑すぎて、結局は冬の時代を迎えてしまったということ。そして現在の第3次ブームは「学習する人工知能」のことで、データをたくさん蓄えていくにつれて、人工知能がどんどん賢くなっていくそうです。

 また、現在の人工知能ブームは過去のブームの延長線上にあるのではなく、各時代でブームが起こり、それがその時々の人工知能を代表していると考えるべきと著者は述べています。

 したがって2018年現時点において、「人工知能とは何なのか?」と聞かれれば「それはディープラーニングです」と答えますし、「最低限、何ができれば人工知能と呼べますか?」と聞かれれば「ディープラーニングを使ってやりたい内容が実現できれば人工知能です」と答えますね。

(p.33~p.34)

ディープランニングの得意なこと、苦手なこと

 ディープラーニングとは機械学習というアルゴリズムの一つです。特徴としてコンピューターの処理能力がたくさんあれば、それだけ多くのシミュレーションができるとのこと。例えばコンピューター同士を何万何十万台と繋げて処理させれば、より複雑な人工知能の処理が可能となるわけです。

 もう一つの特徴は、一度記憶させたものはコンピューターが壊れでもしない限り忘れるということは絶対に無いというものです。 覚えたそばから忘れてしまいがちな私たち人間には到底かなわないですね。

そこまで聞くと、なんとなく人間がこうしたいと思ったことならば何でもできてしまいそうな感じですが、じつはディープラーニングには得意なこととまだ苦手なことがあります。

・得意なこと

  • 学習データを覚えさせて規則性・周期性を予測したり発見する
  • 学習データの過多・過小による精度の低下がなくなった

 これまでの機械学習では例えば画像のデータを入力する際は人間が画像の特徴を機械に入力しなければいけませんでした。これがディープラーニングでは、例えば猫を認識させたい場合、様々な角度の猫の画像を入力していけば、ディープラーニングがそれまで学習した猫の特徴を参照して猫か猫でないかを割り出せるようになったそう。「これにより労力や時間が大きく削減」できたと著者は述べています。

 従来の機械学習では、学習データをたくさん覚えさせていくと精度が落ちてしまう問題があったということ。どうして学習データをたくさん覚えさせると逆に精度が落ちてしまうかというと、たくさんの次元のデータを入力していくと、パターンが指数関数的に増えて逆に精度が落ちてしまうという欠点が有りました。また、学習データが少な過ぎても「過学習」といって、保持している既存のデータの中から、ちょうどよい答えを導き出してしまい、変な結果になってしまうこともありったそう。これらの欠点をディープラーニングでは克服したのです。

・苦手なこと

  • 数字や言葉などデータとして表現できないものを読み取れない

対して、ディープラーニングが苦手としているものは、例えば人の表情を読み取って場の雰囲気を察知するような「言葉で説明するのが意外と難しい」ものだそう。例えば人間ならば、人がいま喜んでいるのか怒っているのかを相手の表情から察することができるのですが、ディープラーニングはあくまで画像などのパターンから特徴を割り出しているにすぎない。今ある学習データを超えて飛躍した答えを出すことがまだできないとのこと。

人工知能は人間を超えられるのか?

 人工知能が発達して人間の知能を超える地点を「シンギュラリティ」と呼びます。例えば本書出版時の2018年にはすでに将棋やチェス、囲碁の分野では人工知能が人間(プロ棋士ら)を負かしています。

1つ1つが、その職業専用の人工知能に代替されていった結果、そのうちの99の職業で、速度も正確さも細やかさも、あらゆる観点で人言より人工知能が勝っていると言えれば、それがシンギュラリティだと言ってしまっていいでしょう。

p.44~p.45

 「万能選手の人工知能がいきなり出現して人間のできることを何でも完璧にこなしてしまう」、「人間が人工知能の奴隷になる」というようなことは、当面はなさそうです。

 人間が普段ふつうにやっている、目で見た物事を洞察し試行錯誤しながら答えを導いていくというプロセスを機械(プログラム?)で再現することは、実は大変困難な作業だったんですね。そしてこれが実現された時、また一歩人工知能が人間に近づくのではないでしょうか。

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